以前読んだよしもとばななさんの「Q人生って?」の中にこんな言葉がありました。
“その人にとっての優しさの定義を決定するのは「育ち」だと思います。”
これを読んで、なるほどなと思いました。

優しさには本当に色々な種類があると思います。
一緒になって共感してあげるのが優しさなのか、
解決策を見つけて答えを差し出すのが優しさなのか、
はたまた相手のためだと思って時に突き放すのが優しさなのか。
多分、正解はありません。

でも、共通する点はいずれも自分ではない、他者(第三者の可能性もありますね)の事を
考えての言動や行動だという事でしょうか。
そして、相手にその意図が伝わっているのなら、きっとその人の優しさも一緒に伝わっているはずです。
おそらく「育ち」が近かったり、近くなくても優しさの定義が同じような人なら、その優しさも
より伝わりやすいのかもしれません。
逆に不器用な人の優しさは時に分かりにくかったり勘違いされたりするのかもしれません。
そういう場面に遭遇した時、きちんとその経緯を受け取れるような人間でありたいな、と最近思うのです。